2007年05月31日

父親たちからの手紙

きゅりかわ店長です。m(_ _"m)ペコリ


先日の日曜日、『たまには映画でも見るか〜』と思い、歴史フリークのきゅりかわ店長としては関心のあるトピックのひとつ、太平洋戦争に関する映画って事で、この映画をDVDで見たのです。

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硫黄島の戦い:
1945年2月16日〜1945年3月26日

米軍:
上陸攻撃参加要員数 70,000名
戦死者数 6,821名
戦傷者数 21,865名

日本軍:
硫黄島守備隊要員数 20,933名
戦死者数 19,910名
生存者数 1,023名

硫黄島の地図を見ると、南西にそびえる擂鉢山を除いては、ほぼ平坦な地形の小島です。
平坦な地形ということは、上陸においての障害物が少ないという事を意味し、守備隊にとって著しく不利な条件です。

また、兵力も日本軍は米軍の1/3以下しかなく、この時期においてすでに連合艦隊を失い、制海権・制空権をも失っていた日本軍には、硫黄島への補給線すらも絶たれていました。

この条件化、5日と持たないであろうと言われていた硫黄島で、栗林中将以下約21,000名の将兵達は、全長18キロにも及ぶ地下陣地を構築し、38日間にも渡る徹底抗戦を繰り広げたのでした。

硫黄島の戦いは、太平洋戦争末期の島嶼における米軍上陸作戦のうち、唯一米軍の損害が日本軍の損害を上回った戦いとして記録に残っています。



戦に勝った側も負けた側も、血を流すのはいつも末端の兵隊たちです。


占領後の擂鉢山で星条旗を掲げた海兵隊隊員たちは、政府の戦費調達キャンペーンに駆り出され、そのプライドをズタズタに引き裂かれる事となりました。
時代は下ってベトナムの戦場から帰還した米兵たちも、国内で盛り上がっていた反戦キャンペーンのために、やはりプライドをズタズタにされる事となったのです。

日本軍の守備隊は、硫黄島の火山性の酷い臭気、火山性の土壌のため井戸すら掘れないため真水の調達に苦しみ、まったく届かない補給のために食料すら節約し、地下陣地構築の重労働の末、米軍の圧倒的物量作戦の前に、生存率はたったの5%以下でした。



現代に生きる日本人は、恐らく一人の例外もなく『生命の尊厳』をどこかで教え込まれていると思います。

ですが、戦争という局面においては、兵隊の命に塵ほどの尊厳などありはしません。

太平洋戦争当時の日本人には“生きて虜囚の辱めを受けるなかれ”という『戦陣訓』によって、投降の道すら閉ざされていたのでした。
逆に、米軍の投降兵に対する日本軍の仕打ちは、本当にむごいものでした。

『父親たちの星条旗』の冒頭のシーン、硫黄島作戦に参加した老人が“戦場”を語るシーンがあります。

また、『硫黄島からの手紙』において、一兵隊が家業のパン屋の材料が憲兵隊によって供出させられた様子を語るシーンがあります。


…この二つのシーンが、僕には作品中で最も重要なメッセージに思えたのでした。



映画そのものの感想ですが、特に『硫黄島からの手紙』については海外の監督が製作したとは思えないほど、当時の世情がリアルに描かれていて感心しました。
戦闘シーンについては、『プライベート・ライアン』の“オマハビーチの戦い”並みのリアルな描写が印象的でした。

やはり、“真の戦場”を知る国の戦争映画というのは、そのリアリティが日本の戦争映画とは比べ物にならない気がします。


参考リンク:

父親たちの星条旗/硫黄島からの手紙

硫黄島の戦い-Wikipedia

硫黄島の星条旗-Wikipedia

祖父の硫黄島戦闘体験記
posted by きゅりかわ店長 at 16:24| 埼玉 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 休日 O(≧▽≦)O♪ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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